-真夜中のDANDY-








 嵌められた。
自分は迂闊な人間ではない。誰しもそう信じたいものだろう。村越も同じであった。
家で気ままに過ごしていた休日。宵の口に笑顔で迎えにきた恋人。
洒落好みの彼のこと、連れて行かれるのは高級ホテルのディナーか、若しくは品のあるリストランテか。

「面倒なところはやめてくれよ、肩が凝って仕方ねえ」
「そうかい?じゃあ…」

 暖色のライトが柔らかく辺りを照らしている。暖かくも寒くもない、快適な室温。
ここは世にいう『メンズエステ』と呼ばれる施設であった。

(充分面倒なところじゃねえか…!)

 胸中で悪態をつく余裕が出来たのは、連れ込まれて一時間が経過して後のこと。
入店するや否や服を脱がされ、ガウンを被せられ、やれゲルマ温浴、
それアロママッサージ、リンパだ、いやストーンだとぐるぐる回され、村越の魂はあやうく昇天するところだった。
身体の疲れは和らげられたものの、気疲れで頭をずっしり重たくした村越は、籐製のラウンジチェアに身を預けた。

「気持ちよかったでしょ?」

 その向かいの席に腰を下ろしたジーノは、にっこり微笑んだ。
 その手には、ガラス製のティーカップ。ハーブティーが湯気を立てている。
 身体を冷やすからと、普段から常温のミネラルウォーターしか飲まない男である。嫌味なくらいに様になっていた。
バリか何処かの南国をイメージしているとかで、濃いクリーム色と深い茶色を基調にした空間と、
教育の行き届いた物静かで落ち着いたスタッフは、この場をうるさい日常から完全に切り離していた。
供される飲み物の香り高いこと。ちょっとしたホテルのスウィートほどの部屋が貸し切り。
掛かる費用は推して知るべし。ジーノは普段から、こういう所を利用する階層の人間なのだった。
エステとは若い姉ちゃんが痩せるために行くところで、
スパとはイタリア伝来の麺料理だという認識の村越にとってはまさに異世界。
部屋の香ばしい匂いを嗅ぐだけで頭がくらくらした。

 身だしなみを整えるのは最低限のマナーだが、やりすぎはやりすぎはよくない。
眉を整えたり日焼け止めを塗るくらいならともかく、
本格的なスキンケアや痩身に大の男が血眼になるのはみっともない。男なら中身で勝負するべきだ。

「コッシーはそれでいいだろうさ。素材がしっかりしているからね。でも、それを活かすのも大事さ。
 そもそもエステの目的は美しいものを美しくすること。肉体の一番の美は健康だよ。
 君にとっても大事なことでしょう?」
 
 確かに、アスリートは己の肉体が唯一の資本。大切な商売道具だ。
 だからこそあまり他人に弄くりまわされたくないというのもあるのだが。
 
「―でも、気持ちよかったでしょう?」

 ジーノの長い指が、つん、と眉間を突っつく。
折角平らになっていたのに、また細く皺ができてしまう。

「…苦手なんだよ、こういう所は」
「人目なんて無いんだから、リラックスして楽しめばいいのさ。いつも家でしてるみたいに」

 ジーノの一言で、重く甘ったるかった匂いが妖しく色を変える。
 
「おい…」

 ジーノの腕が絡みついてくる。同じくオイルでケアをされているが、村越が塗られたものとは違う、
 華やかな香りが鼻腔を通り抜けていく。
 
「ふふ、すべすべになったね。気持ちいい」

 ジーノの頬が首に擦りつけられる。
デコルテを指でなぞりつつ、はあっと熱い吐息。
 
「おい、こんなところで…」

 ラブホテルじゃねえんだから、と。村越のガウンを脱がしに掛かる手を押しとどめる。
 
「ちょっと効果を確認したいだけだよ…コッシーってば、エッチなんだから。何を想像したの?」
「…てめえ…」

 ここが自宅であったら、力ずくで啼かせてやるところなのだが、
 慣れない場所で安易に理性を失うこともできず、村越は天を仰いだ。
 チョコレート色のシーリングファンが、音も無く回転し続けている。
 
「コッシーはもうちょっと自分を飾った方がいいよ。僕が全部きちんとしてあげるから、ね?」
「断る」

 何をされるか分かったものではない。今回だって、身体の凝り具合からアロマの好みに至るまで、
エステティシャンから何一つ尋ねられないというのに、恐ろしいほどぴったりなのであった。
初めは驚きつつも嬉しかったが、段々怖くなってくる。
仕事でもいつもドンピシャのパスを提供してくれる司令塔であるが、
それにしたって、村越の事を知りすぎていやしないか。
口車に乗ったが最後、全く昔の面影のない新生村越が誕生してしまうのであろう。

「うーん…やっぱり剃ったほうがいいよねえ」

 慌てて視線を下ろすと、ジーノの頭が股間の上を漂っていた無遠慮にガウンの裾を捲っている。
 
「ばっ…か野郎!!何すんだ」
「アンダーヘア処理やろうよ。いま頼んでくるから」

 村越の上からぱっと身を起こしたジーノの腰を、何とか腕で捕まえる。
 
「わっ…何するの」
「こっちの台詞だ!おまえ、んな簡単に…」
「え、脱毛の方にする?今日はもう遅いから、やってもらえるかなあ…一気には無理だからね。
 最低5回くらいは通わないと。一人で来られるかい?」
「人の話を聞け!なんでシモの毛を無くさなきゃならねえんだよ」

 ヨーロッパではそこを処理しておくのが常識である事は、世俗に疎い村越でも知っている。
日本人サッカー選手でも海外移籍をすれば処理をする場合が多いようだ。郷に入っては郷に従え。
そういう場所に行けば習慣に従うのはやぶさかではないが、ここは日本である。
その東京に本拠地を置くチームに骨身を埋める覚悟はあっても、生まれたままの下半身を晒す度胸はない。
馬鹿高い旅館の貸し切り温泉にしか入れなくなってしまうし、
何よりシャワールームで仲間の注目を浴びるかと思うと―想像だけで村越の顔から血の気が引いた。

「絶対可愛いと思うのになあ…」

 素敵、じゃねえのか。迂闊なツッコミは恐ろしい反撃を産む場合があるので、
村越は無言で、しかし目力いっぱいにジーノを睨みつけた。
国籍が一応日本、という程度の国際人・ジーノであるが、下半身の処理は普通だ。
整えてくらいはしているのかもしれない。
ジーノの下半身を必死に思い出そうとしている自分に気づいて、村越は赤面した。
なんと不埒な。顔色を信号機のように変える村越に対し、ジーノは明け透けに言い放つ。

「僕はコッシーのそこ、好きだけどさ。ワイルドで。でもたまに邪魔だなーって。口に入ったりするし」

 村越の表情が硬直する。ジーノは「あ」と言って唇に親指を当てて。
 
「あー…別に嫌とは言ってないよ。ね?そんなに気にしないで」

 この話は置いておこうか、とジーノが手をひらひら振った。村越はまだ、衝撃を受けて動けなかった。
 
 ジーノは何事にもオープンな男であった。二人の関係はクローズなものであったけれど、こと村越との性的交渉に関して、
 ジーノが不満を表すことは無かった。だから村越は、何ら悩んだことなどなかったのであるが。
 それでも細かな部分は、やはり人間である。
 身も心も許しあった仲だと思い込んでいたが、知らない内に我慢させていたなんて。
 自分ばかり気分がよくなっていたなんて。村越茂幸一生の不覚。甲斐性無し、という単語で脳内が満杯になる。
 
「…ずっと嫌だったのか…」
「…気にしないでって、言ったでしょう。いいよもう、この話は…」

 ジーノは踵をかえし、去って行こうとした。その肩を掴んで振り向かせる。
ジーノは俯いたまま、頭をぽすっと村越の胸板にぶつけた。
現在、一番村越の下半身を目にする機会が多いのはジーノである。
己でさえじっくり注視する機会は減っているのだ、一人で処理をする場合でさえ、細部は気にしない。
清潔であればいいとだけ。自分の身体であるのに、大切な人に愛してもらう場所を、随分とおざなりに手入れをしてきたものだ。
髪型を変える暇があるなら、下の毛もすっきりさせておくべきだったのだ。

「ジーノ…俺は」
「もういいってば…コッシーは、今のコッシーのままで」
「いや、お前がそう望むなら…シモの毛くらいは」

 言いかけたところで口を噤む。ジーノの口端が上がっている―これは。
 
「…いや、しない」
「ええ〜」

 ジーノが顔を上げる。唇を尖らせて、儚さもかけらもない表情。
危なかった。年下のおねだり上手を、つい甘やかしているという自覚はある。
今回ばかりは本当に、取り返しがつかないところであった。

「世の中には出すべき価値もないモノだってあるというのに…
 コッシーはもっと自信を持つべきさ!美しいものを隠す必要なんてない!」
「俺は露出狂か!やらんと言ったらやらん!」
「生えてるのもくすぐったいくてイイけど、生まれたままの君が欲しいんだよ。
 ああ、きっとファンタスティックなシンボルになるだろうね…」
 
 変態だ。いや、知っている。よく知っている。
うっとりした顔で村越の手を握っている。とにかくオープンで奔放な、どうしようもない王子様。

「…君がスるなら、僕もやってもいいよ」
「…!」

 生まれたままのジーノ。無駄なく付いた大腿部の筋肉と、臍下の滑らかな肌。
それが切れ目なく続き、一糸どころか一毛にも隠されぬジーノの…

「―想像した?」

 いつのまにか背後をとられていた。
ジーノの指先が、襟元から内へと進入し、鎖骨をなぞる。

「いや、絶対に、やらん…!」

 身震いを堪える村越をあざ笑うように、背から腰元へ、しなやかに這うジーノの腕。
それはあたかも創世物語に出てくる蛇のように、村越の意識を絡めて離さない。

「…ここ、泊まりもできるんだ。まずはトリートメントから始めようか」

 村越の声にならない叫びは、くわえ込むようなキスに飲み込まれる。
腰紐がはらり、と落ちる。村越の意識もまた、闇へと落ちていったのであった。













END
 
 















UF無配のジノコ…じゃなくてコシジノ。シモの話ですみません。絶対ぜったい可愛いと思うよ!! <<20120707・木綿>>