-東東京ジャングル-
※猫パラレルです。受けの方がメスです
村越は猫である。毛は灰色。うっすらと濃灰色の縞模様があった。
体格良く、前足の付け根あたりがもりっと太い。生粋の日本猫らしい顔つきだったが、
何世代前かに外来種の血が入っているのかもしれない。
村越は、己のルーツには興味がなかった。今日を生き抜くのに精一杯だったからだ。
かつては人間に飼われていた。それがある日突然、飼い主がいなくなった。
飼い主だけではない、他の人間も、同じ日を境に姿を消し、
野生化したペットや動物園の生き物たちが溢れかえり、東京はいまや弱肉強食のジャングルと化していた。
村越を飼っていたのは、達海という名の男であった。
猫の目からみても不真面目な人間だった。昔はサッカー選手をしていたらしい。
捨て猫の村越に餌付けをして、最終的には自分の家に招き入れてくれた。
いなくなって間もなくは捨てられたのだと恨みもしたが、達海が色々なことを教えてくれ、
ものぐさ故買い置きのペットフードがたんまりとあったお陰で、村越はいま生きていられるのであった。
多くの動物がひしめく混沌のなかで、喧嘩に強いだけでは生き残れない。
村越は、浅草界隈の猫のボスだった。近頃は派手な争いも少なくなった。
縄張りは各ボスの話し合いが主として定められる。
うまく交渉をして縄張りを広げるのも、ボスの資質が問われる仕事だ。
不適格なら引きずりおろされる。それだけで済めばいいが、無能なボスの為に群れが全滅する事もある。
村越は目を覚ますと、くああ、と欠伸をした。
朝食を捕ってこなくてはいけない。もう餌をくれる人はいないのだから。
傍らで寝息をたてる連れ合いを起こさないよう、そっとねぐらを出る。
空は綺麗な山吹色だった。
便宜上「朝食」としたが、猫は夜行性なので人間でいうディナーにあたる。
獲物がいつ手に入るとも分からないから、食べられるときに食べておくのが野良ーもとい野生の掟だ。
猫にしてはおおきく張り出した鼻をひくひく動かし、獲物の気配を探す。
がさり。
村越は、耳をぴーんと立てた。何かいる。ちゃっちゃっ、と砂利を軽くかき混ぜるよような足音。
犬や豹ではこちらがエサにされる側だが、おそらく鳥であろう。
ぬっと全身を伸長させ、抜き足差し足。草陰から白い羽毛と赤い鶏冠がみえた。間違いない。
村越はじりじり後ずさる。周囲に敵や、他の鶏はいないようだ。
足音に、微かに引くような音が混じっているので、足を怪我して群からはぐれたらしい。
鶏や兎などは村越ら猫にとってご馳走だったが、油断してかかれば鋭い嘴や歯で手痛い反撃を食らってしまう。
息を殺し、鶏が足元の草を食んだ一瞬を狙った。
クアッ
抵抗されずに、断末魔の叫びの前に仕留めることに成功した。
まだ若鶏で、くわえて持ち上げるのに苦労はない。
木陰に持ち込むと、硬い筋の辺りを選んで素早く喰らった。空腹に染みる。
胃が半分ほど満たされた所で、村越は食べるのをやめた。
再びくわえた鶏肉は、脂肪が旨い皮や柔らかい肉の部分がたっぷり残っている。
全部食べ尽くしてしまいたい。そんな激しい欲求をぐっと堪えてねぐらに持ち帰った。
村越のねぐらはとあるアパートの一角だ。以前達海と暮らしていた部屋である。
狭い入口に、階段をぐるぐる登らないとたどり着けないため、危険な大型獣はまず入っては来ない。
扉は鍵が掛かったまま。郵便受けの部分に、達海が作ってくれた村越用の穴がある。
大家にばれないように小さなカーテンが設置されていた。こちらは達海の友人・後藤の作品だ。
やくざな花柄のそれをくぐり抜けると、白い尻尾がゆらゆら揺れているのが見えた。
「ああ、お帰り。コッシー」
ふああ、と欠伸をしたのが、村越の連れ合い、ジーノである。
白地に、耳と足先に金茶色が入っている。狭い部屋のど真ん中を占拠しているベッドの上に、悠然と寝転んでいた。
二匹が寝起きしている部分だけが擦り切れている。破れ目からウレタンの屑が零れてくるのだが、
綺麗好きのジーノは嫌がるので、Tシャツやタオルといった布切れで埋められている。
ジーノのお気に入りは黒いシャツで、つるつるした素材で出来ている。今日もその襟元から頭と尻尾だけを出していた。
「お疲れさま」
シャツの中からするっと抜け出て、床へと華麗に着地する。
なーん、と甘い声で鳴きながら、村越の側にすり寄った。村越はちょっと髭をそよがせたあと、肉を床においた。
ごちそうを前に、ジーノの瞳はきらきら輝いている。二人きりの食事の時間だ。
爪と牙とで硬いところを切り分けてやりながら、ジーノがおいしいおいしい、と食べるのを見守った。
「コッシーも食べなよ」
「俺はもう済ませた」
「そうなの?」
ジーノの食事はゆったりとしている。腹の具合を正直にいえば、少し物足りない。
それでも口をへの字に曲げて、何でもないという顔をした。
ここは隠れ家には最適だけれど、寂しい場所なのも事実だ。
街に沢山いた人間たちは、ある日突然いなくなってしまったのだから。
野良猫生活が長かった村越は、何とか勘を取り戻していったが、途中で力つきた動物も多い
。人間に長く可愛がられていた犬など、主人を探して何処かへと消えてしまったものもいた。
村越も、幾度となく達海を探しにいったことがある。街の端から端まで、達海はどこにもいなかった。
他の知っている人間も、知らない人間も。
達海が心配だった。身体こそ村越より大きかったが、ネズミ一匹捕まえられない体たらくであった。
達海の住まいの床下にはネズミがよく出没したので、村越は餌場にしていた。
アパートの大家さんに可愛がられ、それがどういう経緯か達海と暮らすことになった。
餌の捕れない達海のため、村越はせっせとネズミを捕まえておすそ分けしてやった。
迷惑そうな顔をしていたが、紙に包んで大事そうにふたつきの大きな箱へと締まっていたので、
きっと大事に食べたのだろう。村越は毎日張り切って狩りに励んだ。
「生ゴミの前の日だけにしてくれよ…」と達海はぼやいていた。
駄目な飼い主のために、縄張り作りにも励んだ。
達海には警戒心がないので、いつ他の猫に襲われるか分からない。
遂に村越は数多の屈強な猫らを蹴散らして、この界隈を仕切るまでになった。
「ほんとお前は真面目だねー、縄張り拡大もいいけど、メスの尻も追っかけねえと、やもめのまま爺様になっちまうぞ」
そんな無責任な事を言っていた。達海自身、メスとは縁がないようだったので、余計なお世話だ、と村越は思っていた。
「ああ、美味しかった。お腹いっぱい」
満足そうにジーノが息をつく。前足をぺろぺろ舐めて、さっそく食後の毛繕いだ。
ジーノの毛並みはたんぽぽの種みたいにふわふわで、真っ白なので汚れが目立ってしまう。
いつだってお手入れは入念…のはずなのだが。
「はーあ」
気怠げにため息を一つ。粗方の汚れを落としたあと、すぐベッドの上に戻ってしまった。
村越は髭をぴっと張りつつ、そろそろとベッドに近づく。
村越はそれほど潔癖性ではない。寝床がちょっと散らかっていてもいい。ただ、連れ合いの様子は気になる。
ジーノは大きくあくびをして、ううん、と伸びをした。
見ていることを気づかれないように、村越は窓の方を向いた。
西日で暖められている床を探している振りをして、ジーノが目を閉じるのを待つ。
最近のジーノは眠ってばかりだ。村越は、人間でいえば三十二歳なので肉体のピークは過ぎているが、
まだまだ力溢れる大人猫だ。ジーノはそれより少し若いくらい、一番気力体力が充実している年齢である。
それがいつも眠い眠いと言っているのだ。村越は病気だと思っていた。本当の理由が分かるまで、随分落ち込んだ。
ジーノがいなくなったらまた一人きりだ。他の猫の仲間はいる。
けれど、色んな思い出のあるこのねぐらに招き入れて、一緒に生きていきたいと思った猫はジーノだけだったのだ。
すう、と静かな寝息が聞こえた。村越はそろりとベッドに前脚を掛け、瞳を大きく見開いた。
ジーノはお腹を横向きにして寝ていた。珍しく行儀が悪い。
下腹のあたりがぽこんと膨らんでいるのは、先ほどの食べ過ぎたからではない。
あのお腹の膨らみを見る度、村越の顔はかっかと熱くなる。
耳の先から尻尾までびりりっ、と痺れてしまう。
今にも飛び跳ねて、あのお腹に鼻先を突っ込みたくなるのをぐっと我慢する。
駄目だ、絶対にそんなことをしてはいけない。
鼻から沢山空気を吸って、フスー、と吹き出す。
幾分熱が和らいだ、代わりに力が抜けてしまって、腹の虫がきゅる、と鳴いた。
「んん…」
ジーノは身じろぎしただけだった。ほっと胸をなで下ろす。かなり深く眠っているようだ。
村越は、少し大胆になった。音だけは立てないように気を付けてベッドへのぼる。
足下はゆれたが、ジーノの寝息は途切れない。ふわりと柔らかそうな毛が、呼吸に合わせて上下している。
やはりお腹の下の辺りはぽっこりと膨らんでいる。
(こりゃあ、オメデタだぞ。良かったな村越!)
教えてくれたのは松原という中年猫だ。五つ子の父親で、子作り子育てに関してはベテランである。
日に日に大きくなるお腹。はじめの内はジーノも不安げにしていたが、松原の奥さんから色々と教わって
「心配しすぎるのが一番良くないって」と自分で結論を出してからは、とにかくのんびりとしている。
慌てているのは村越の方だ。人間が手伝ってくれるならともかく、出産は危険だ。死ぬことだってあり得る。
自然なことなんだから大丈夫だよ、とジーノに窘められている。
自分のせいなのに、自分の力ではどうにもできないのが歯がゆくて仕方ない。
ジーノはすやすや眠っている。無垢な寝顔だ。子供もきっと可愛いに違いない。
どんな毛並みになるかは分からないけれど、なるべく自分に似ないといいなと村越は思う。
そっと鼻先を近づける。村越より一回り小さな身体は、自身の匂いと村越の匂いとに包まれている。
この匂いのように、何もかもを包み込めたら良いのに。いまの村越が守りたいものの全ては、こんなにも小さな塊だ。
達海くらいに大きな身体であったら、腕だけで抱えてやれる。
まだ出会ったことはないが、カンガルーという生き物はお腹に袋がついていて、子供を入れて守りながら育てるそうだ。
その袋があれば、ジーノを大事にしまっておけるのに。村越は人間でもカンガルーでもないから、ねぐらに隠しておくしかできない。
もっと何かしてやれないか。村越は眉間にぎゅっと皺を作り、毎日悩み続けているのだった。
出会ったばかりのジーノは、たいそう気位の高い猫だった。
いかにも飼い猫らしい育ちの良さを持ちながらも、狩りのセンスも抜群。
高飛車な性格は、寄り合い所帯であるこの辺りの気風にはそぐわないと思われていたけれど、意外に馴染んだ。
何処でも猫らしい猫はモテるものだ。憧れる連中も多く、村越の恋敵は少なくなかったが、最後はボス猫としての気概で押し切った。
達海との別れで疲れた村越を、ジーノの明るさが救ってくれた。恩なんて水くさいよと言われても、村越はジーノに感謝している。
子を授かって、少し太ったようだ。決して醜いという訳ではない。むしろ好ましい。
けれど、いつも美しいスタイルを自慢にしていたジーノにとっては、あまり嬉しくないのではないかと思う。
動きも少し鈍い。お腹がつかえるので毛繕いもうまくできない。いまも背中のあたりに毛玉ができている。
気にしていない風を装っているだけなのではと、村越の胸騒ぎは収まらない。
(大丈夫だってば)
村越が毛繕いをしてあげようとすると、ジーノは嫌がる。
しっぽでぺちりと村越の鼻をたたく。親切は受け取るけれども、あまり体に触れられたくはないようである。
また村越は我慢するしかない。本当は、ぴったり寄り添ってずーっと温めてやりたいのだ。
しかしそれは村越の望みであって、ジーノではない。子を持った身体はデリケートだ。
無闇な刺激は禁物である、肉体的にも、精神的にも。
村越はふうっとため息をつく。自分は何をすればいいのか。特別な事は何も増えない。
餌をとる、縄張りを守る。ジーノにいっぱい食べさせなくてはならないから、少し大変だが、それだけだ。
自分が産むわけではないのだから。
ジーノがぼんやりとしているときは、子供とお話をしているのだという。
ジーノにとっては自分の内にいる存在だから、話しかけるくらい当たり前なのだろうが、
村越にとっては不可解な行動でしかない。村越とくっつくのを嫌がる理由の多くはそれなので、ますます憎たらしい。
まだこの世に生まれ出てもいない子供に嫉妬するのは大人げないにも程があるので、村越はまたぐっと我慢する。
日はすっかり暮れてしまった。ジーノはまだ寝ているが、もう少し月が高くなったら縄張りを見回る時間だ。
ついでにもう少し、腹を満たしに、また外へ出かけなくてはならない。それまで一眠りしようと、村越はジーノから離れた。
名残惜しいが、身体をくっつけたら流石に起こしてしまうだろう。
子供ができる前は、ジーノの方が添い寝をせがんだものだ。
散歩するときも尻尾を絡ませてきたりして、思い出すと恥ずかしくなるくらいラブラブだった。
その恥ずかしさが、今は恋しい。
村越は身体一つ分間を開け、身体を丸めた。
子供が生まれたら、寂しいなど言ってられないと松原が教えてくれていた。
姿がなくてもジーノを独占している子供は、生まれたら完全にジーノを奪い去ってしまうのだろうか。
(馬鹿か、おれは)
自分は父親だ。何があろうと家族を守る。ジーノのことも、勿論子供たちも。
孤独だった自分に家族が出来るのだ。もう何処へ行こうと独りではない。
村越は、自分の頭のてっぺんをちょい、と前足で撫でる。
昔こさえた古傷で、木の葉型の小さな禿があるところだ。傷は男の勲章だが、ちょっと目立ちすぎる。
恥ずかしい頭での縄張り巡回は辛い。毛をぐしゃぐしゃかき混ぜて誤魔化す。
本当は、綺麗に逆立てて禿を隠し、格好良くしてくれるのがジーノの日課であったが、最近は滅多にやってくれない。
頼んで断られるのが怖いから、ジーノが寝ているうちに外に出かけているというのもある。
乱暴に逆立てた毛は、すぐにへたりと萎れてしまった。
(これでいいんだ)
ジーノは自分と子供を優先し、村越も両方を優先する。
そうやって協力しあえば、きっとこの厳しい環境も生き抜いていけるはずだ。
その為なら、ちょっとくらい寂しくても耐えられる。
胃がうるさくて眠れないかとも思ったが、すぐにとろんとした眠気に誘われた。
曇った窓から差し込む月明かりは濁っている。
夢か幻か。村越は、誰かが頭を撫でているのを感じていた。
達海か?ああ、達海に会ったら何と言おう。アンタに手を煩わされなかったお陰で、いい嫁をもらえた、と。
言葉が通じなくたって分かるだろう。小蠅さえろくに追えない人間の目にも、ジーノは美しく見えるに決まっている。
「…もう、コッシーったら、過保護なんだから」
ジーノの声がする。眠くて瞼がうまく開かないが、尖った耳がぴくぴく目の前で動いている。
「お父さん、無理しないでって、子供たちも言ってるよ」
お父さん?そう呼ぶのは、誰だ。
頭をぬるく湿った舌がちろちろと舐める。村越が身震いすると、ふふふ、と、愛らしい笑い声が耳を擽った。
「一緒にいるよ、大丈夫。僕はいなくなったりしない」
ジーノは達海を知らない。人間に飼われていた事すら、詳しくは話していないのだから。
達海を失って、どんなに寂しかったのか、ジーノと出会って、それがどれだけ救われたのか。教えていない。
だからこれはきっと夢だ。村越が一番欲しい言葉をくれる、幻だろう。
これが夢なら、達海にも会いたい。ジーノを見せてやりたい。これが俺の幸せなんだ、と伝えたい。
達海はよくやった、と褒めてくれるだろうか、こんな美人をつかまえやがって、生意気だ、と苛めてくるだろうか。
丸めた背中に触れる体温。生命の温もりを感じながら、村越は幸福なまどろみに身を委ねた。
END
UF無配のねこしじの。言わなきゃ分からない東京JUNGLEパロディでした〜
ピンクハートいっぱいのアゲメスにゃんこがジーノにゃんにしか見えず(´`*)
こっしーはねこになっても嫁馬鹿です…
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