- 魔女の特急便 -
「なあ、まだ早すぎるんじゃないか?」
勤め帰りの後藤がネクタイを緩めながらぼやく。市役所の基本は定時退勤だった。
「まあ、大丈夫だろ。あいつは知らない町で答えを見つけるほうがいい」
丸型フラスコを手元でくるくる回しながら、達海がニヒヒと笑う。
「昔からいうだろ? “可愛い子には旅をさせろ”」
水も温む三月の初め。久しぶりに晴れた日曜の朝。
塀の上でうたたねをしていた赤崎は、バタバタうるさい足音に耳を伏せた。
「ああっ!ザキさんいた!!」
「うるせえぞ椿、昼寝の邪魔だ」
窓枠から身を乗り出してきた鼻の頭に猫パンチをおみまいする。
ぷぎゃっと呻いて尻餅をついた椿めがけてジャンプすると、膝上に着地した。
「もう起きなきゃだめですよ、出発するんですから」
「出発?今日にしたのか?」
「はい、今月晴れるのは今日だけだって。ラジオで言ってました」
「まあ、そういう訳だから赤崎。よろしくな」
だるそうな様子で達海が手を振っている。隣の後藤は心配そうだ。
「無責任だぞアンタ。仮にも母親だろうが」
「仮じゃなくて実の母親だよ〜?」
「大魔女だとかなんだか過去の栄光は知らねえけど、
あんたの娘はほうきで飛ぶしか能のないボンクラなんだぜ?ちゃんと分かってるのかよ」
出発、というのは修行の旅の事だ。
適齢期の魔女は一人前になるために旅に出るのが古来よりのならわし。だがしかし。
「分かってるよ。俺と後藤の娘はねぇ、薬は爆発させるわ占いはチンプンだわ、
魔女としちゃあ半人前以下だ」
母親の言葉に、椿がしゅんとうなだれる。気弱すぎる性格も魔女にとってはマイナスだ。
「でもな、それでいいよ椿」
「え…」
「駄目な自分を、お前は変えたいって思ってきた。
だから夕飯のあと、暗くなっても毎日練習を欠かさなかった−俺はずっと見てきたよ」
「お母さん」
「そういう気持ちは、すげえ力を持ってる。そのまま行け、何度でもしくじれ。
その代わり、一回の魔法で皆の度肝を抜け。お前の中の…ジャイアントキリングを起こせ」
「おかあさん…!」
椿は母の胸に飛びつき、すすり泣きはじめた。傍らの後藤がハンカチで目頭を押さえている。
赤崎は思った。すごく良いこと言ったみたいに聞こえたけど、それって一発屋って事じゃねえの?
箒で飛ぶしかできないという大問題は棚上げされたまま、出発の時間になった。
「風邪引くなよ〜」
「つらくなったら、いつでも帰ってきていいんだぞ…」
「はい、いってきます!!」
椿が箒にまたがる。赤崎はショルダーバックの上に飛び乗った。
「足元に気をつけてくださいね、ザキさん」
「安全運転で頼むぜ」
「まかせてください!」
ふわり、と黒いワンピースの裾が揺れる。
椿が目をつむっているのを見て、赤崎は髭を震わせた。嫌な予感。
「馬鹿、目ぇ開けろ!」
「ふぇっ?」
急上昇したほうきは横に180度回転し、一番高い庭木に突っ込んだ。
「ひあっ」
「この下手くそ!ちゃんとコントロールしろ!!」
椿は太い幹を蹴る。勢いでなんとか水平に戻った。
360度縦回転したので、赤崎は危うく落ちるところだったが。
「はああ…死ぬかと思った…」
「…何べん同じ失敗したら気が済むんだ。俺がただの猫だったら百回は死んでるぞ」
「うう…スミマセン」
いつのまにか家は遠ざかっていた。
椿が名残惜しそうにちらちら振り返るので、赤崎はわき腹に猫キックを食らわせる。
「あうっ」
「ちゃんと前見て飛べ!落っこちたら俺まで巻き添えなんだからな」
全く、と赤崎は大きな溜め息をつく。
魔女に黒猫は付きものだが、何が悲しくてこんな半人前で弱虫のお供をやらなくてはいけないのだ。
赤崎も昔は名のある魔法使いだった。
いわゆる「代表」として、名誉ある青いローブをまとっていた事もある。
だが今は魔法は一切使えない猫。元に戻る為にはこつこつ力をためるしかない。
「ザキさん、ザキさん」
「何だよ」
「ザキさんは、どんな街がいいと思いますか?」
「田舎じゃなければどこでもいいい。見当はつけてるのか?」
「はい。海の見えるところがいいなあって…とりあえず、いまは東に向かってるんですけど」
赤崎の髭がうなだれる。こいつに計画性を期待してはいけなかった。
「ちゃんと働き口のあるところにしろよ。
皿洗いか掃除か…まったく、占いでもできりゃ日銭には困らないのによ」
「うう…」
ほうきのスピードが一段階下がった。生活力も精神力も半人前である。
「あと、他に魔女のいない街だな」
「え、いたら駄目なんですか?」
「俺も詳しくは知らねえ。昔からのルール」
「そうなんだ…友達になれるかもしれないのに」
しょんぼりと肩を落としたせいで、高度まで下がってきた。
これ以上の説教はさすがにまずいと、赤崎はバックに手を突っ込んでラジオのスイッチを入れる。
ちょうど音楽番組をやっていたようで、軽快なテンポの曲が夜空に響いた。
「あ、この曲いいかも」
ふんふんと鼻歌でリズムをとりはじめると、ほうきがまた上昇を始める。
この通り、何とも世話のやける魔女であった。
「そろそろ海だからな、ちゃんと星を見て方角を見失うなよ」
「はい!」
返事だけは一人前。しかし調子が出てきたのか、ほうきは潮風に乗ってぐんぐんスピードを上げていく。
椿はほうき以外に何の魔法も使えない。
だが一芸特化と熱心な練習の甲斐あって飛ぶことだけは一流になっていた。
上昇気流をつかまえたほうきの乗り心地は素晴らしい。空に舞う鳥の気分だ。
「いい街が見つかるといいな…」
いいな、じゃねえよ。見つけるんだよ。
そう小言をぶつけてやろうと顔を上げると、にこにこ微笑んでいる椿の横顔が目に飛び込んできた。
風にたなびく黒いショートヘア。頭の上の赤いリボンが、月明かりに照らされている。
特にどうという様子でもないのに、何だか胸がざわつく。
赤崎はバッグに頭を乗せてふて寝をはじめた。今日は昼寝もろくにできなかったからな。
猫になってからやたらと睡眠が必要になってしまったわが身を嘆くふりをして、爪をバッグに引っ掛けた。
「そこで寝たら危ないですよ」
椿がショルダーバッグを赤崎ごと膝上に乗せる。
潮風の匂いに石鹸の香りが混じる。鼻がむずむずしたが、赤崎はかたく目を閉じた。
「一緒にがんばりましょうね、ザキさん」
濃紺と白銀が綾に折重なる海面。その月影に映るちいさな黒点は。滑るように東へと進んでいった。
まじょたくパラレル!
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