-Jast Married-


 

「だだだ、大丈夫ですか王子!」

芝についた露が日の光にきらめく、朝。
練習場にいつも通りの長袖ジャージに身を包むETUの王子様と、
まだ肌寒い朝に半袖ショートパンツの椿大介が立っていた。
練習のある日、椿は一番か二番に練習場に着く。クラブハウスには2時間前に着いているらしい。
必ずと言っていいほど遅刻してくるジーノが練習開始前、しかも椿と同じ時刻に練習場に居るなど、珍しい。
 
ここにベテランの誰かがいれば、ジーノをいじってくれるのだろうが、
コートには生憎、ちょうど到着した矢野、そして赤崎の他は誰もいなかった。
矢野は「お前ちょっと行って様子聞いてこい」という言葉無き露骨な目配せを赤崎に投げつける。
ジーノも椿も、頭が常に春というか、異次元というか。
とにかく常人とは感覚が違いすぎて絡み辛い、というのは赤崎も理解できるのだが、
矢野ももう在籍年数ではジーノを超えるのだから、無駄にビビるなよな、と言葉無く視線で悪態をつく。
しかし、今ここで矢野を行かせても、ジーノと椿から話が聞き出せないということは変わりなさそうだ。
王子から名前を覚えてもらっていない人間が行っても混乱に拍車を掛けるだけだろう。
今期FW宮野の加入で始まった、矢野と宮野の混乱から、ジーノのETU内人名認識は混迷を極めているらしい。
シーズン始まって約2ヶ月、ジーノが顔と名前を一致して覚えているトップ5入りは確実、
赤崎はわざとらしい大きな嘆息を矢野に残し、意味も無くモデル立ちのジーノと挙動不審の椿に近寄った。

「はよっす、王子早いっすね。珍しい」
「おや、おはようザッっキー。今日は早く目が覚めてしまったから練習前にこの…ひっく、
そこそこ手入れされた芝の上で朝日を浴びるのもいいと思ってね…ひっく」
「なんだ、しゃっくりっすか。早起きなんて、慣れないことするからじゃないっすか」
「ななな、何だじゃないっすよザキさん!しゃっくりを100回までで止められないと、止められないと
おおお、王子、王子が……死んじゃうかもしれないんですよッ!」
「え、そうなの?それは大変だね…ぅひっく」
「あのなあ、死因しゃっくりなんて聞いたことねえよ」
「王子、俺とザキさんがびっくりさせるんで、しゃっくり止めてくださいね!」
「うん、いいよ…ひっく」
「…」

話を全く聞いていない椿と話を全く聞いていないジーノになんと言ってやればいいのか。
相変わらずと言えば相変わらずのやりとり。
とりあえず赤崎は遠巻きに様子を見守る矢野に向かって、両手を空に向け、小首を傾げて見せた。



◆◆◆



「あれ、何やってんだ?あいつら」
「ジーノ早いな、珍しい」

堺と丹波がコートに現れるころには、若手はだいたい出揃っていた。残るメンバーは村越と石神ぐらいだろうか。
 
「…どわぁーっ!」
「おや、セリー。今日も元気、ぃっく、だね」
「ああー、駄目かぁー」

世良の後ろからの奇襲へ対するジーノの反応に落胆する椿と世良。
おーっす、と丹波と堺が歩みつつ声を掛ける。

「あ、ちーす!堺さん丹さん!」
「みんな、何やってんの?ってかジーノ居るの早すぎねえ?」
「あいつ時間間違えたのか?」
「イヤ、何で早いのかはよくわかんないんすけど…」

実はかくかくしかじかで、と傍にいた赤崎が二人に解説する合間も、
亀井が変顔を見せてみたり、黒田が突然くすぐったりしてみるものの、ジーノの様子に変化が出る気配はない。

「ジーノが驚いてるとこなんて見たことなくね?」
「しゃっくりなんてどうでもいいだろ、練習始まったら止まるんじゃないか?」
「え、でも堺は、見たくねえ?あいつが驚いてるとこ」
「それは…でもなあ…」
「ていうか王子、めっちゃ手強いんですよー。丹さんなんか一発ネタお願いしますよー。この前上野でやってたやつとか!」
「馬鹿野郎が、朝からできるわけねーだろ!」
「え、もしかしてこの前の合コンっすか?何やったんすか?脱いだんすか?」
「んなわけねえだろ、馬鹿野郎、イヤ、このバカ崎!」
「あのなあ、お前ら笑わすんじゃねえだろ、しゃっくりを止めるのが目的だろ」

次第に外野も大騒ぎし始めて、ジーノを囲むように輪になっていた。
普段の練習前は、ストレッチをするものや談笑するもので皆まばらに散らばっている。
いつもと違った風景に若干の不安を覚えながら近づく人影は、
若手を気遣い、一番最後に練習場に姿を見せるその人だった。

「お前ら、朝から何大騒ぎしてんだ?」
「あ、コシさん!ちーす!」

「コシさん!王子がしゃっくりで死んじゃうかもしれないんです〜〜」

椿、先に挨拶だろ!と堺が叱りつけるが、椿の耳には入っていない。

「何?しゃっくり?」
「王子のしゃっくりを止めようと、皆でやってるんですけどね…」

やれやれ、といった態度を取る赤崎に、状況の芳しくなさだけは村越にも伝わったようだ。

「やあ、おはようコッシー、ずいぶん遅いじゃない…ひっく」
「いつものお前よりは早いだろうが」

くすぐり攻撃をあきらめた黒田が突っ込みを入れる。
 
「あ、コシさんなら出来るんじゃないっすか?王子をびっくりさせるの」
「コシさんが出来なきゃ、ETU誰も出来ないだろうな」

世良の一言に、真・影のキャプテン杉江も同意する。

「驚かすのが目的じゃなくて、しゃっくりを止めることが目的だろうが」
「まあまあ、堺さん、堅いこと言わずに。面白そうじゃん、コシさんVS王子なんてなかなか無いよ」

いつの間にかやってきた石神が、軌道修正を促す堺の行く手を阻んだ。

「しゃっくりなんて別に放っといてもいいだろ。どうせそのうち止まるだろうし」
「えぇっ!でも…」
「しゃっくりが気になって練習にならなかったら困るんじゃないっすか」

やる気無い王子がいると周りも気が散るし…と、やんわりと逃げようとした村越を赤崎が引き止めた。
よくやった赤崎!と外野が言葉なく喝采を送り、
周囲の見えない期待に背中を押され村越も仕方なくジーノの前に立った。

「今度はコッシー…ぅひっく?お手柔らかに頼むよ…ひっく」
「コシさん!ジーノにはくすぐり効かないっすよ!」

黒田の声援を受け、村越は目の前のジーノを見つめるが、名案は出てきそうにない。どうしよう。
皆の期待と好奇心の溢れる視線にさらされて、村越は逃げ出したくて仕方ない。
試合中であれば自らを鼓舞させる糧となる観客も、こういうシチュエーションではさらし者の気分だ。
冷や汗まで出てきそうな心中、不意に椿の言葉が頭に響いた。

―王子が死んじゃうかもしれないんです―

ジーノに、死んでもらっては困る。
共にETUを支える仲間、村越がいざというとき頼りに出来るのは彼しかいないと言っても過言ではない。
達海が監督として戻ってきてから、意識はしていなかったが、周囲の変化に、相当ストレスを感じている。
物事を悪い方へ考えて重くなりがちの村越の心を軽くしてくれるのは、軽やかな彼の存在が大きい。
試合中も、練習中も家に帰ってからのプライベートの時間も、全てを良くしてくれている存在なのかもしれない。
そう思うと、目の前の男がなんとも愛おしく、守らなければならない存在に思えてくる。
いや、守らなければならないのだ。全ての災厄から守ってやりたい。
オフィシャルの時間はいい、ほとんどの時間を共に過ごすことが出来ている。
プライベートの時間、ずっと傍に居るにはいったいどうすればいい?答えは、一つしか無い。

「ジーノ、頼みがある」

村越はジーノの両肩を手で引き寄せ、真剣な表情を見せる。

「何だい、コッシー…ひっく、改まって?何でも、ぅひっく、言ってごらんよ…ひっく」
「ジーノ、俺と結婚してくれ。一緒に暮らそう」

冗談としか思えない台詞とは裏腹のまじめな表情の村越。
さすがに冗談だろうと思うが、村越のあまりの迫真の演技に周囲も動揺を隠せない。
一瞬、目を見開いたジーノも、すぐに嘲り混じりの微笑を顔に浮かべた。

「コッシー…まさか本気で言ってるのかい?」
「ああ、お前を守りたい。ずっと、どんなときも」

いつものように、眉間に皺を寄せ、馬鹿みたいにまじめな表情を見せる村越。
これは冗談や、余興の類ではない。ジーノへの純粋な想いなのだ。
恋多きジーノも、こんな真っ直ぐで熱い愛を向けられたことなどない。
ましてや、こんな真面目でパワフル、悩み多きセクシーなバンディエラから捧げられることなど
これからの人生であるだろうか、否、おそらく無い。
ジーノの目の前に立つ男こそジーノが探し求めていた、
愛を捧げ、捧げられる資格を持ったただ一人の男なのだ!

「コッシー…僕は嬉しいよ!君がそんな風に僕を想っていてくれたなんて!
  僕も君のことを愛している…イヤ、これからもっともっと、君のこと好きになる、なっていくよ!」
「ずっと俺の傍にいてくれ、ジーノ。もうお前に遅刻はさせない」

がばっと村越に抱きつくジーノを、力強く抱き締める村越。

「式は日本と、そうだね、イタリアでもあげよう。ハネムーンももちろんイタリアさ、一周しよう!
 僕が案内してあげるねコッシー。僕のこと、もっともっとたくさん知っておくれ!」
「ああ、何でもいい。お前の好きなようにすればいい」

そんな会話を交わす二人の姿を見守る外野。
恋愛映画のワンシーンのように輝いて見えたのは二人を慕う椿と、面白がっている石神だけだった。

「コシさんすげーや、王子にプロポーズしてOKされてら」
「よ、良かったっす…二人が想いを確かめ合えて…」
「…お、驚いた…のかジーノは…?」
「王子しゃっくり止まってるから…いいのかな?」
「あのー、二人とももういいっすよ。気持ち悪いんで今すぐやめてください」

赤崎の言葉も村越とジーノの耳には届かない。
周囲を不安の渦へと陥れつつも、二人はお互いから離れようとしなかった。
不承不承離れたのは、松原コーチの練習始めるぞー!の声が響いた、午前9時30分のことだった。



◆◆◆




「おーう、今日も練習。練習。はじめっぞーお前ら」

ジャージの裾から手を入れ、腹をぼりぼり掻く達海が緩く号令をかける。
可愛い選手たちは、晴れ渡った空とは裏腹。通夜のような表情だった。

「何だよお前ら、元気ねーなー」
「監督、あの…非常に申し上げにくいのですが…」

選手と同じく、青ざめた表情の松原。
 
「何?そういや村越は?いねーな」

達海は選手たちのほうに顔を向けながら、たるんだ顎をぽよぽよと触りながら松原に問いかける。

「あの、ですね、結婚するので休暇を取る、と」
「へーいいじゃん、めでたいね。試合も来週だし丁度いいんじゃないの。
そういやジーノは遅刻?あいつそろそろ罰ゲームだな」
「あの、王子も結婚するので休暇を取る、と」
「へー。結婚すんの、王子様。どこのお姫様と?」
「あの…何度も聞いたんですけど…む、むらこし…とだそうで…」
「…ふーん…むらこし?村越?あの村越?うちの村越?」
「え、あ、その…どうやらそう…なのか?冗談、なのかは…ちょっと…」
「ふーん…村越、お姫様ねえ…女形はジーノの方が似合うんじゃないの?王子様だけど」
「そうでしょうか…根本的に問題があると思うんですけど…」
「あのねえ、凝り固まった頭で考えても、サッカー上手くなる訳じゃないよ?松っちゃん?
愛にも練習にも固定概念など不要!練習ー、練習」

 達海が元気よく号令を掛けるも、号令が耳に届いた者はごく少数。
「あいつらの子供はサッカー上手いんだろうねぇ」
という達海の空気を読まない冗談に食いついたのは、二人を心から慕っている椿だけだった。


 青い空、クラシカルな教会の前で白いタキシードに身を包む、
 笑顔と硬い表情が対照的な新郎二人のツーショット写真葉書が関係者全員に届くのは、翌週月曜のことだった。
                                    


-La fine-
 
 




二月浅草トライアンフ4無配のリサイクル。 オープンなコシジノもまた良し…と思った2012年冬… <<20120610・みつ>>