-雨に包む -
「ねえコッシー、出かけようよ」
ジーノの気紛れはいつもの事だった。
五月も末となれば、そろそろ夏の気配がしてもいい頃だったが、降り続く雨が冷たく大気を覆っている。
ピッチでは霧雨ですら嫌がるくせに、オフとなれば気にならないらしい。
村越の返事を待たずに服を選び始める。嘆息は上機嫌な鼻歌にかき消された。
雨の日の外出は面倒だ。とりあえずはドライブということにした。
行き先は決めていない。適当に走らせていれば何かジーノが言い出すだろう。
「結構強い雨だね」
「台風が近いらしいからな」
へえ、という返事こそあったものの、ジーノの興味は窓の外に移っているようだ。
フロントミラーが映し出す、何時になく真剣な表情を見留めた村越は、
「・・・上陸しても一日二日だ。次の試合は中止になんねえよ」
「えー」
子供のように頬を膨らます。可愛い仕草だが相手は20も半ば過ぎた男。
どちらかといえば気色悪いはずなのに何故か不快ではない。そう思う自分が不思議でならない。
「ねえねえコッシー、今どの辺り?」
後付けのカーナビを弄くるジーノに現在地を伝えると「ワォ!」と外人っぽいリアクションを返された。
「渋滞に入りま〜す。10キロだってさ」
村越はハンドルを握る手を緩める。
さっきからのろのろとしか進まない訳がようやく分かった。
「事故みたいだね、どんどん赤くなってる」
一体何が面白いのか――声を弾ませるジーノを横目に、村越は溜息をつく。
だから雨の日に出かけるのは嫌だ。視界が霧がかって、何もかもがいつも通りに運ばない。
タイヤを一周転がして止まる、を3度ほど繰り返したところで全く動けなくなった。
ジーノはまだカーナビに熱中している。湿気で癖づいた毛先を指で摘みつつ、地図を小さくしたり大きくしたり。
高飛車で奔放な王子様だが、意味もなく機嫌が悪くなることは滅多にない。
整った顔立ちや類希なるサッカーセンスより、評価されるべき美徳だと思うのは自分だけだろうか。
「コッシーはさ、雨の日は嫌い?」
「好きではないな――お前は嫌いなんじゃないのか」
「そうでもないよ。サッカーするのは勘弁だけど」
ハー、と息でガラスを曇らせ、指で小さな丸を描く。
「雨が降っているとさ、風景がいつもと違って見えない?別の国に来たみたいに」
ああ、と生返事を返したところで、ジーノの所作ばかり見守っていることに気づく。
急いで目線をフロントガラスに戻した。
「湿気は嫌だけど、涼しくなるのはいいよね」
不意に、ぬるい吐息が耳にかかる。
振り向いた村越の唇に、ジーノのそれが重ねられた。
「おい――」
「涼しいと、熱くなったところがよく分かる」
怒気を含んだ声にたじろぐ様子もなく、ジーノの指先が鎖骨をなぞる。
背に冷水を浴びたような感覚に、村越は身震いした
。
「・・・運転の邪魔をするな」
絞り出すようにしか声を出せなかった。
悪戯な指が、胸の先端を突付く。薄手のシャツが、その部分だけわずかに捩れている。
自分の肉体の変化から目を逸らし、村越は前方を注視した。落ち着け。今は運転中だ。
深呼吸を一つ、二つ。額の汗が冷たい。
脊髄に熱い血が通り抜ける。そのまま、静かに冷えていけばいい。
ジーノの指を振り解き、ハンドルを強く握りなおした。
「大丈夫だよ。誰も見てやしないよ」
こんな雨の日だからね、というジーノの囁きが、雨音に混じって響く。
掌ににじむ汗。生々しい熱が宿った体を自覚しながら、村越はワイパーを止めた。
フロントガラスを打ち付ける雨粒が、みるみる水の帳となった。
村越を楽しげに見守っていたジーノが真顔に戻る。
その肩を引き寄せ、口付けた。長い睫の目が見開く。
即座にワイパーをオンにする。
「君って人は・・・」
「――誰も見てないんだろ?」
ワイパーがガラスを勢いよく拭った。
ジーノは顔を手で覆い、もう、もう!と言葉にならない声で呻く。
傍若無人な王子様にも恥じらいはある。少しは大人しくなるはずだ。
ようやく確保できた運転環境に安堵し、村越は熱い耳朶を窓ガラスに押しつけた。
END
みっつさんの誕生祝い用コシジノ。ドライバーへのちょっかいは程々に。そんな雨の日。
<<20110529・木綿>>